8月28日 誕生日を迎えて 能楽舎 河村晴久オフィシャルサイト

8月28日 誕生日を迎えて

 本日誕生日を迎え、64歳になりました。多くのお祝いのメッセージをいただきまして、ありがとうございます。

 2月28日に「融」を舞って以来、全ての舞台が中止、延期になり、3月20日に予定していた亡父の追善の「恋重荷」、6月7日の「西行桜」も来年になりました。同志社大学の授業、佛教大学四条センターの講座、講演会、遠方への出張、素人の方の御稽古、皆無くなりました。3ヵ月以上舞台が無いのは、小学校の頃はともかく、中学生になって以来初めてです。舞台がないことは何より悲しいことです。

 6月半ばから、ようやく林家や京都観世会主催の能会が再開されましたが、感染予防のため定員の半分のご入場で、その他の会はなかなか開催しにくい状態です。
 同志社大学の授業は前期の分は取りやめて後期に回し、8月の近畿大学の集中講義では何とか対面授業ができました。佛教大学四条センターは10月からZoomでの実施。Zoom会議、Face Time、Google Duo、Line Video、Messanger Video、Google Classroomなど、3月まで使ったことのないいろいろな手段を使い分け、会議、研究会などを行っています。

 4月には狂言方の善竹富太郎さんがコロナウイルス感染症がもとで亡くなりました。直接存じ上げている方であり、まだ40歳のこれからが期待される方、あまりの悲しさに言葉もありません。生きること、死ぬこと、自然、畏怖、命、喜び、悲しみ、苦しみ、執着、諸々の言葉が、ここ数ヶ月の状況の中で、以前にもまして、切実に、意識されるようになりました。

 先が見えず、収入の不安定な能楽師としては、現実的に生活がどうなるのか、極めて不安なのですが、これまで極限状況の中で、死と隣り合って能が舞われてきたのも事実です。近くは父親世代、戦争によって明日の命もわからず、食うや食わずでも能の稽古をしていました。江戸時代、泰平とは言え、能楽師の禄は武士が与えるのですから、間違えは許されず命懸けです。桃山、戦国、室町時代は死と隣り合わせ。いつの時代も、命懸けで能を舞い、見えないものを、能を通して表現してきたのだなあと、つくづく実感します。このたびの危機、一日も早い収束を願いますとともに、これを機に、ものの見方が変わり、見えないものを感じ、自然と和合し、自然の摂理に任せる、といった昔の人にとっての当たり前に気づくことも、また大切に思えます。

 この危機的状況下、前向きに新らしい展開を考え、64歳の「初心」で諸事元気に努めたいと思います。よろしくお願い申し上げます。